任せる

こんにちは、だいちゃんです☆

今日のテーマは『任せる』です。


スポーツの試合中、無心になれ

とよく言われますが

この無心というものを本当に分かっていて
それを言い表しているスポーツの指導者が

一体どのくらいいるだろうか

と、そう思います。


心が無いと書いて無心
ということは、

そもそも心とは何であるか

ということが分かっている必要があります。


結論からいうと

心とは、本心だけであり、それ以外は想念である。


ということが言えます。

これだけだと難しいので解説します。

本心とは、自分の正体。
何度か話している、心でも身体でもない、1つの気、いわゆる魂のことです。

ここでは、あえて本心と表現していますが、
本当は心でもないんです。


想念とは、本能的、理性的を含めた種々様々な思い。


それを踏まえて

例えば

「こいつ強そうだな、勝てるかな」

と思うのは、本心ではなく、本能心。


「いや、そんな弱気じゃダメだ、絶対勝てる!」

と、無理するのは理性心。


これ、どっちも本心ではありません。


本心とは、この想念がなくなった時に現れます。

いわゆる、「雑念を捨てろ!」

という時の、雑念とは、このことです。


そして、その本心のままプレーすることができれば


あなたは100%、自分の実力を発揮できます。


では、この雑念をどうすればなくせるのか

これは、中々難しいです。
はっきり言って不可能に近いです。


思考は勝手に起こります。

考えないようにしよう。
と思った時点で、無心ではないんです。

坐禅は、この雑念、妄念を無くす為に

難行、苦行を行っていきます。

しかし、それで無くせる人はほんの一握りです。


これを自力行といいます。

少し宗教的なお話ですが続けます。

これに対して、他力行というものがあります。

例えば「南無阿弥陀仏」を唱えなさい。

というもの。


これは、少し詳しく話すと

法然さんという非常に優秀な偉いお坊さんが
難行苦行を重ね

重ねて重ねて重ねて

もっともっと難行苦行を重ねて



それでも悟れなかった。


それで、「こんなにがんばっても中々悟れない」

ということに気づいたんです。


そして嫌味でもなんでもなく

「こんなに自他共に認めるほど優秀な自分がここまで修行しても悟れないなら、みんなが悟るなんて夢のまた夢じゃないか」

ということに気がついたんです。


偉いですよね。

そして、この法然さんの偉さはここからなんです。


「だとすると、もっと簡単な方法があるはずだ。ほれを伝えなければ、みんなを救う事はできない。」

と思ったのです。


そこで、良い意味でのあきらめを持ち
お釈迦様の経典を学び直して
そこでハッと悟ったのです。


という訳で、色々あって

南無阿弥陀仏

を唱えよう。

と、こうなったわけです。


南無阿弥陀仏
と唱えている間は、他の事は考えられない。


だから自分の中になにか雑念、妄念が浮かんだら
いつでもそれを
南無阿弥陀仏
といって、仏の心、神のみ心、
つまり本心の中に入れてしまう。

そうしてその想いが消えていくのを
ぼーっと眺める。


それなら誰でもできるじゃないか。

神さまの力、南無阿弥陀仏の力を借りて
雑念を取り払おう

本心を発掘しよう


というのが他力行なのです。


それで、ここからが本題です。

スポーツの試合中に、何か
「勝ってやろう」
とか
「うまくやろう」
とか
「ミスしたらどうしよう」
とか

そんな気持ちが浮かんだら

または
「今のは良かったぞ」
とか
「ダメだったな~」
とか

そんな気持ちが浮かんだら

それを消そうとか、抑えようとか思ってはいけません。
何故なら無理だからです。


想いを抑えようと思う心が、すでに雑念なんです。

その無限ループにはまってしまっては
プレーに集中できません。


ですから、そういう時は
すぐに自分の中の本心に、その雑念を入れてしまうんです。

どういう風に入れるかというと

何でもいいんですが、何か自分の信じている神さまの名前を呼ぶとか
世界平和を祈るとか

そんな簡単な事でいいんです。

南無阿弥陀仏でも
アメノミナカヌシさまでも
キリストさまでも
アーメンでも
お釈迦様でも
世界人類が平和でありますようにでも
天におわします我らが父よでも
宇宙霊でも
アラーでも


なんでもいいです。

何か調べてみれば色々出てきます。

そんな、
自分の力の及ばない偉大な何か

にすべてをお任せしてしまう。


そしてお任せした結果、負けてしまったら

それはそれで運命だった。

と、それを受け入れる。


それがコツです。



今日の話はいつにも増して眉唾ですが
例えば、実験してみてください。


難しい顔して必死で何かに悩みながら
ボーリングの玉を放るのと
気楽になんのことなく、世界平和を祈りながら
ボーリングの玉を放るのと

どちらが楽にまっすぐ玉が転がるか。


実感できたら

さぁすぐに自分のプレーに生かしてみましょう。


今日の話がいつか誰かのお役に立てれば幸いです。
感謝してます。