道具

こんにちは、だいちゃんです☆

 

同じ競技を長く続けていくと、感覚がどんどん研ぎ澄まされます。

 

テクニック的なものを求めて、最初は外に現れる形を追い求めていたはずが、ある日気が付くことがあります。

 

「あれ?何かが違う」

 

という感覚です。

 

外から見ると、つまりビデオで自分のプレーを見てみると、別にどこも違わない。

 

だけど、なにかが違う。

 

周りに聞いても、違いが分からない。

 

だけど、何かが違い、うまくいく気がしない。

 

全く同じプレーをしている。

テクニックも変わっていない。

ブランクがあるわけでもない。

 

だけど、実際にプレーするとうまくいかない。

 

これがいわゆるスランプ・・・?

 

とも思ってしまう。

 

これ、実はスランプでもなんでもなく、見えていないところで何かが違うんです。

少し筋肉に疲労が溜まっている程度や、疲れている、痛みがあるなど、そのくらいであれば、カラダが自動的に修正して、その時の状態で100%に近いパフォーマンスが出来るように無意識にしてくれます。

 

では、それ以外だとすると何が違うのか。

 

それは、見えないもの。

 

俗にいうメンタルというもの。

 

このメンタルって何かというと

 

要するに精神力です。

 

じゃあ、この精神力とは何か・・・

 

それは心です。

 

心が違う。だから同じプレーをしていても上手くいかないんです。

 

少し難しい話になりますが、簡単に説明すると

 

人間の正体は心でもカラダでもない

 

という考えがあります。

 

じゃあ正体は何なのかというと・・・それは詳しくはまたの機会にして

 

目に見えない本当の自分というもいのがあります。

ここではわかりやすく、魂ということにしておきます。

 

この魂から見ると、身体や心は、生きるための道具です。

 

だから、もしもメンタルが弱い、つまり心が弱い選手で、本番で力を発揮できない選手がいたら、ただ単に、「道具である心が弱い」というだけです。

 

別に本当にあなたが弱いわけではないです。

どうもメンタル的な話になると、根性論や、あるいは真逆の科学的なメンタルトレーニングとか、極端な話に飛躍しがちなのが今日のスポーツの現場な気がします。

 

でも、そもそも心が道具であるとするならば、身体と同じように鍛えて強くすることが出来るはずです。

 

それだと、要するにメンタルトレーニングと一緒でしょ?

と思うかもしれませんが、違うんです。

 

意識が全く違います。

 

どういうことかというと

 

筋力トレーニングで自分を強くする

メンタルトレーニングで自分を強くする

 

という考えが既に間違っていて

 

自分の道具であるところのカラダやココロに対して、しかるべきトレーニングで強度や柔軟性を上げてやる。

 

という考えが本来正しいと意識して、日々トレーニングに励むことが必要なんです。

 

カラダやココロが自分じゃないという事が分かると

試合中にパフォーマンスををしているのは、自分ではないという事が分かります。

 

例えば大工さんはカンナやトンカチを使って、仕事をします。

カンナ掛けをしている時は、トンカチは使わないので、床に置いておきますよね。

 

その時に、そのトンカチを見た人は「あれ?大工のやつ、床で寝てサボってやがる」とは言いませんよね?

 

カラダとココロと、魂というのは、この関係とおんなじことなんです。

 

スポーツの現場で

もしも「お前はホントに心が弱くて、ダメだな」というような指導者がいたとしたら

 

それは床に置いてあるトンカチを見て、そのトンカチに向かって一生懸命

「お前は本当にダメな大工だな」

と言っているのと同じです。

 

もしもそんな人がいたら

「あれ、この人おかしなこと言う人だな。」

と思うでしょ?

それから、別にその人に何を言われても傷つきませんよね?

 

それと同じように、心が自分じゃないというう事が分かっていれば、まわりの人の言葉や、未熟な指導者の言葉で一々傷つかずに済みます。

 

そして冒頭のスランプみたいな状況に陥ったとしても

 

『どうしよう、心が弱いのかな・・・』

 

と考えずに

 

『単に道具である心に今日は不備がある』

 

と思えばなんてことはありません。

時間が経てば勝手に治ります。

 

それを、変に考え込んでしまうから、もつれた糸みたいにこんがらがって、どんどんパフォーマンスが落ちていくのです。

 

一見何も考えてなさそうな選手が強いことがありますが、それは上記のようなことを知ってか知らずか、あまり考えすぎないからというのも一つ理由としてあるかもしれません。

 

今日の話が、いつかどこかで、誰かの心をほんの少しでも軽くできれば幸いです。

感謝してます。