結果の捉え方

こんにちは、だいちゃんです☆

 

結果が残らずに苦しんでいた大学生時代のある日、ふとこんなことを思った。

 

『結果』ってそもそもなんだろう?

 

ということで、それから毎日『結果』について考えてみた。

 

『原因と結果の法則』という有名な本もあるくらいだし、とりあえずスピリチュアル的な本、スポーツ選手の本、学者さんの本、仏教の本・・・様々な本を読んでみました。

 

そんな風に色々と読むだけ読んで、最後に昔から集めていた井上雄彦さんの

バガボンド

を読み返してみたんです。

 

 

そこで期せずしてヒントを見つけました。

 

どんなシーンにヒントを得たかというと

(以下うろ覚え)

幾度の死闘を繰り広げ、ついに世間では

“天下無双”

の呼び声すら出始めている宮本武蔵

禅のお坊さんである沢庵さんが説教(怒るわけじゃなくて、教えを説く感じで)をする場面があります。

 

「戦いをやめて家族を持ってみてはどうだ?帰る場所を作るんだよ。」

 

という風に、傷ついた武蔵を諭す沢庵。

 

そこで武蔵が言ったのが

 

「『帰る』場所ならもうすでに在るはず。これから作る場所にどうやって帰る。」

 

という言葉でした。

 

このセリフに、なんだかハッとすると同時に、ほっとしたのを覚えています。

 

『結果』も同じでことだな・・・と思いました。

 

結果をいくら追い求めても、掴めないはず。

だって、結果は自分の行動についてくるもの。

スポーツで言えば、自分のパフォーマンスについてくるもの。

 

だから、いくら前を見て必死に頑張っても、掴めるはずがないじゃないか。

 

たまたま結果が出ていた時期は、そんなこと考えずに、ただ一生懸命目の前の練習に、試合に取り組んでいただけじゃないか。

 

一体いつから、後から付いてくるはずのものを目の前にあるかのように・・・

それも、はるか前にあるかのように錯覚してしまったのだろうか。

 

 

後ろにあるものをいくら前に求めても、それは掴めるわけがない。

だって、目の前に集中してないんだもん。

 

目の前のプレーに

目の前のトレーニングに

 

1つ1つに集中していないじゃないか。

 

だから、後ろについてくる結果は、それに見合ったものなんだ。

 

それを見ないふりをして

「俺はもっとやれる」

って必死になっても、目の前の霧はどんどん濃さを増すばかりで、余計に理想の結果からは遠のいてゆく。

 

 

・・・

 

なるほどな~。

と、一気に思考が駆け巡り、なんだかほっとしたんです。

 

『現状』という『結果』を無視したら、悲しんで、より望みとは真逆の『結果』となって返ってくる。

 

だから、『現状』を受け入れ、一緒に一歩ずつ歩んでゆく

 

その過程を楽しみながら、行けるところまで行く。

 

せっかくずっと一緒にいてくれる相棒を、見えないふりして無視せずに、楽しく成長していく。

 

その繰り返しが、結局一番早道なんじゃないかな。

 

 

そんな風に思ったんです。

 

 

この経験から得た

『いま、ここ』

に集中する。

 

という考えは、いまだに折あるごとに自分に言い聞かせては、原点に立ち返れる教訓となっています。

 

 

今、スポーツで悩んでいる方は、一度『結果』というものについて考えてみると、何かヒントが得られるかもしれません。

今日の記事がいつか誰かのこころを、ほんの少しでも軽くして差し上げることが出来れば幸いです。