さとり

吉田は、監督に言われ言葉が原因で佐々木に相談しに行った。そこで、段々と壮大な話になって行き、困惑というよりも、訝しがりながらも、それでもヒントになればと根気強く話を聞いていた。

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佐々木「『監督に言われた言葉で、悩んでいる』という事だったよね。」

 

吉田「うん。何が正しいのか、分からなくなってきたんだ。」

 

佐々木「まず、さっきの話から行くと、これが正しいことというのはないんだ。何故なら、僕らはある目的のために生まれてきているからなんだ。」

 

吉田「目的って?本来の力を取り戻すとかってこと?」

 

佐々木「それも一つ。それもというか、まぁ行き着く先は同じなんだけど、魂の成長、向上の為に生まれてきているんだ。」

 

吉田「魂か。どんどん怪しくなるな。あっ、別に疑ってるわけじゃないから続けてよ。」

 

佐々木「そうだね。この魂というのは、さっきも言ったように大元の何か、ここでは神さまとよぼうかな。その神さまから分けてもらった命そのものだと考えてくれればいいよ。それで、その魂を成長、向上させる為にこうして、身体と心を借りてきたんだ。だから、この身体も心も本当の自分ではないんだ。」

 

吉田「え?身体も心も自分じゃないの?」

 

佐々木「そうだよ。吉田君の正体は、目に見えない魂なんだ。」

 

吉田「じゃあ身体と心は何?借りてきたって言うけど、それも神さまから借りてきたの?」

 

佐々木「そうだよ。さっきも言ったけど、魂を向上させるために借りてきたんだ。いわば、道具だよ。野球選手のバットとグローブみたいなものかな。」

 

吉田「俺の正体、魂が野球選手で、身体がバット、心がグローブ?」

 

佐々木「そういう事。野球選手も、バットとグローブがないとフィールドには立てないでしょ?フィールドに立って初めて、野球を実際に楽しめるし、ボールを打ったり、捕ったり、三振したり、捕りこぼしたり、そうして野球がうまくなっていく。それと一緒で、魂だけじゃこの地球というフィールドに立てないから、身体と心を借りてきたんだ。しかも、全員違うバットとグローブ、つまり身体と心を借りてきているから、このフィールドには色んな種類の選手がいるんだ。」

 

吉田「そうだよな。全員顔も身体も違う。それじゃ不公平じゃないか。いいバット持ってるやつの方が遠くまで飛ばせる。俺だって、もっと身長が高ければ、もっと簡単に今の競技でも勝てるのにって何度も思ったよ。心だって、もっと強く生まれてればって思うし。なんでわざわざ、そんな悩むようなことをするの?」

 

佐々木「そう思うよね。だけど、実はその不公平が良いんだ。不公平だからこそ、そこに悩みが生まれて、それを解決するたびに魂が成長していくようになってるんだ。イメージしてみて。大きなバットでボールを最初から簡単に打てちゃう人と、小さなバットで、何度も失敗を繰り返しながらそれでも打てるようになった人、どっちが技術的に向上したかな?それから、その最初から簡単に打てる大きなバットを持った人は、それでは悩まないけど、もしかしたらグローブはボロボロで守りづらいものを借りてきているかもしれないし。そういう風にいろんな人がいるけど、その差に悩まされることなく自分の借りてきた身体と心で魂を磨いていく。それがこうしてそれぞれ違った身体と心を借りてきた目的だよ。」

 

吉田「うーん。分かったような気もするけど。でもさ、神さまってそしたら不公平な存在ってこと?」

 

佐々木「そうじゃないよ。神さまは万人に公平だよ。例えば吉田君、今からちょっと心臓を止めてみて?」

 

吉田「え?心臓?そんなの無理に決まってるだろ。」

 

佐々木「そう、生きている人はみんな心臓が動いているんだ。そして、自分の意思で止めることが出来ないんだ。さっきも言ったけど、肺も、肝臓も、腎臓も、いろんなものが勝手に生きるための仕事をしてくれている。これがもし、本当に自分のものなら、自分で動かせるはずなんだ。だけど、それは神様が代わりにやってくれている。このことは、万人に共通なんだよ。例え、先天的、後天的に障害をもっているような人でも、同じように生きるために必要なことはその人に応じて神様がやってくれている。これ以上に公平なことってないよ。あとは、自分の魂の修行に集中するだけなんだから。その為の環境を神様は整えてくれているんだ。」

 

吉田「なるほど。でも、やっぱりちょっと納得がいかないな。だとしたら、なんでもっと魂の修行がしやすいように、有利な身体じゃないんだろう。俺は、もっとスポーツで勝てていればもっと幸せで成長するのに。」

 

佐々木「それは違うよ。その身体だからこそ、成長できるんだ。その身体は、吉田君が選んできたんだ。生まれてくる前に『この身体とこの心を借りて、修行してきます』って。」

 

吉田「いや、それだとしたらもっとおかしいよ。自分で選んできたなら、もっといい条件で選んだはずだ。もっと運動神経が良くて、体力も筋力もあって、もっとイケメンで・・・」

 

佐々木「その、運動神経が良くてとか、イケメンで、って言うのは、誰と比べて?つまり、誰かと比べて、自分は良くないからもっと良ければって思ってるわけでしょ?」

 

吉田「え?誰と、というか・・・もっと俺より色々優れている人、かな。」

 

佐々木「じゃあもしも、その人たちと比べることをやめた時、その思いはどうなるかな?」

 

吉田「どういう事?」

 

佐々木「じゃあイメージしてみて。例えば、吉田君以外誰もいない無人島で生活するとき、自分の顔に不満持つことってあるかな?」

 

吉田「んー、きっと無いよね。見せる相手もいないし。」

 

佐々木「そうなんだよ。じゃあもっと運動神経良ければって思うかな?」

 

吉田「んー、それはもしかしたら思うかも。生きていくために、きっと狩りしなきゃならないし。」

 

佐々木「でも、それは狩りをするという目的の為であって、それさえできるレベルであればいいんだよね?もしそうなったとき、それ以上を求めるかな?」

 

吉田「いや、生きていければ十分だし、別にトレーニングする必要もないかな。逆にそれ以上運動神経良くても、使う場所ないし。『どうだすごいだろ』って見せる相手もいないし(笑)」

 

佐々木「そうなんだよね。本当は、みんなそのままで完璧なんだ。必要なものは、ちゃんと持ってるし、身につけるようになってる。だけど、それを他の誰かと比べた時に、不満というものが出る。確かに、ある分野では自分より優れたすごい人がいるかもしれない。だけど、そのすごい人もまた、それ以上の人に出会い、自分の現状に不満を持つ。それはきりがないんだ。」

 

吉田「世界一の人は?もう誰も敵がいない。そう、オリンピックで金メダル取るような人は、不満なんかないんじゃないの?」

 

佐々木「本当にそう思う?仮に周りにライバルがいなくても、その人は今度、自分と戦い始めるんじゃないかな?『もっと上』を目指すんだ。金メダルを取っても、また何度もオリンピックに出てる人もいるでしょ?」

 

吉田「なるほど。確かに、そういわれるときりがないな。」

 

佐々木「そう、きりがないんだ。だけど、それじゃあ何のために、こうして比べなきゃならないような、それぞれ違った心と身体を選んできたかのか?吉田君ならもうわかるよね。」

 

吉田「それは、その比べるのをやめるため?」

 

佐々木「そういう事。比べるのをやめた時、そこには『自分』と『相手』の間に差が無くなる。それこそが、精神的な修行者が求める『悟り』なんだ。」

 

 

以下、次回に続く

5回目 大元

5回目 大元

 

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吉田は当惑していた。

佐々木の話してくれる事というのは、やはり非常に気づきが多く、ためになる。事実、少しずつ他人のアドバイスを、徐々に聞けるようになっていた。

ただし、完全にではない。どうしても我が出てしまい、素直になり切れてないと、自分自身が感じることもあった。そんな時にどうすればいいのか、それを佐々木に教えてほしい、そんな想いがふと頭をよぎる。

 

しかし、吉田はあの日以来2週間、佐々木の元を訪れていない。

何故なら、先日佐々木の口から出た『宗教』という言葉が吉田を不安にさせたからだ。

 

宗教というと、いいイメージがなかった。何か勧誘されて、高額なものを買わされて、洗脳される、そんなイメージがあり、中々受け入れられなかった。

そんなこともあり、先日は練習の時間を理由に途中で話を切り上げてしまった。正直、また佐々木に会いに行く気にはなれなかった。

 

そんなある日、練習中に吉田は監督に呼ばれ、注意を受けた。最近、一流選手のマネをしていることが見抜かれていた。そして、あと1年も競技生活がないんだから、今さらプレースタイルを変えることは良くないという事だった。暗に、お前にはそのプレーは無理だと言われているような気がした。

 

吉田は頭の中で、何とか反論しようと試みた。

 

『そんなことわかっている。だけど、藁にもすがる思いで今の状況を変えようとしているのに。どうしてわかってくれないんだ。

監督は、現役時代に一流選手だったから、きっと悩んだことがないんだ。だからこういう気持ちを理解できないんだ。』

 

そんな考えが日常生活でも反芻し、ストレスとなり、スポーツに集中することが出来ず、さらに調子は悪くなっていった。

 

とうとう、吉田は佐々木にまた会いに行こうと決めた。宗教だろうが何だろうが、今のこの気持ち、モヤモヤしたもの、悩みを、佐々木なら何とかする方法を知っているのかもしれない。そんな期待と、少しの不安を抱き、吉田は佐々木に連絡をした。

 

~~~

 

「やぁ吉田君、調子はどうだい?」

 

「それが、さっぱり。監督にも、お前にそのプレーは無理だって言われたよ」

 

「なるほどね。それで、やめちゃった?」

 

「いや、やめてはないけど。でも、不安になるんだ。監督の言う通り、あと一年もない競技生活の中で、今さらって気もするし。でも何とかしたい。佐々木の言うように、自分の考えじゃうまくいかないから、他の人のことを素直に聞こうと思ったのに、監督にはやめろって言われるし。何がいいのか分からなくなってさ。」

 

「なるほど。もちろん、その選手のプレーを全部コピーしようと思ったら、一年じゃ足りないよね。だけど、別にそれが目的ではないよね。そのエッセンスを自分の中に摂り入れるために、経験する為のマネだったはずだよ。」

 

「うん、それも分かってるんだ。だけど、どうしても何かモヤモヤして、心が勝手にいろんなこと考えて、不安になって、集中できないんだ。なぁ佐々木、こういう悩みをどうにかしようとして、宗教が出来たってこの間教えてくれたよな?」

 

「うん、そうだね。」

 

「その話、聞かせてくれないか?もし何か佐々木が宗教やってて、俺に入れって言うなら

それはちょっと考えさせてくれって思うんだけど、良かったら教えてくれないか?最初はびっくりして・・・ほら、あんまり宗教っていいイメージないからさ。だから最近会いに来ずらかったんだけ。」

 

「ははは。ごめんごめん。もしかしたら宗教って言葉で怖がらせちゃったかもね。僕は別に何か特定の宗教に入信してるとかそういう事ではないよ。」

 

「ん?そうなのか?じゃあ何で?」

 

「あのね、いろんな本を読んでると、最終最後どこかの宗教とか、神学的なものに行きつくことが多いんだ。

だから、自然と宗教というものに興味を持って学んだだけだよ。それが、ある意味僕の中ではすごいショックだったんだ。元々、僕も宗教に対しては吉田君のように悪いイメージしかなかった。高いツボ買わされたりとか。」

 

「うん、わかる。なんか日曜日によくしつこく勧誘に来たりさ。」

 

「そうそう。でも、僕の言ってる宗教というのはそういう団体のことを指すんじゃなくて、宗教というものの本来の役割の事なんだ。」

 

「宗教の本来の役割?」

 

「そう。簡単にいうと今の様に人間の理性や科学が発達する前から、人は同じように色々な不安や恐れ、悩みというものを持っていたんだ。その不安や恐れや悩みというのは、本来人が発揮できる力を出なくしてしまう。だから、それらをなくして、本来の力を取り戻そうというのが宗教の目的だったんだ。」

 

「なるほど。確かに、今まさにそうだ。悩んでいると、練習にも身が入らないし。なんかわかる。」

 

「でも、その悩みをどうしたらなくせるのか、そういったものが分からない。親や先輩にアドバイスを求めても、『お前それはこうするべきだよ』という、理性で考えた答えしか返ってこないんだ。でも、そうしたアドバイスで、一時的にうまくいくように思えても、また悩みというものは出てきてしまう。それは何故かというと、理性的というのは、一見正しいように思えるけども、正しくはないんだ。これ分かるかな?」

 

「うーん。先輩に『これはこうだぞ。こうやって考えろ』って言われても、なんか納得できないってのは分かる。でも、説明の上手な人の話を聞いていれば、なんかわかったような気になるし、そういう人は理性的な感じがするけど、それだと解決しないってこと?」

 

「うん。解決しないんだ。なぜなら、理性というものは、どんどん進化するから。」

 

「進化?」

 

「そうだよ。例えば遥か昔の原始人は、裸で過ごしても誰も気にしなかった。けど、今同じようなことしたらすぐに警察が飛んでくるよね。これは、正しいかどうかは別として、『裸というものは、むやみに人前でさらすものではない』というように理性が段々段々進化したからなんだ。」

 

「あー、そういう事か。なるほど。」

 

「他にも、昔はどこでもタバコを吸ってよかったし、他の人に煙がかかろうが気にしなかった。お酒を飲んで運転しても、お咎めがなかった。というように、つい20年くらい前を考えただけでも、今ではびっくりすることが平気で行われていたんだ。これは理性が進化したから、段々とそういうことは良くない事だという事が分かってきたんだ。」

 

「うんうん。でも、普通に考えればわかることだと思うけどな。なんで当時の人は気づかなかったのかな。」

 

「それは、理性、つまり頭だけでものごとを考えていたから。だから、自分という存在以外のことはさほど目に入らなかったんだ。もちろん、どんどん周りを蹴落としてでも上に行くのが偉いと思われているような時代背景なんかもあるんだろうけど。とにかく、頭で考えたことは、一時は良くても、また時代が変わると問題が起きてくるんだ。」

 

「でも、今は分煙だってしっかりしてるし、飲酒運転だって厳しく取り締まっているし、特にもう問題なさそうじゃない?」

 

「そう思うけど、あと少し時代が進んだら今度はどういう悩みに変わるかわからないよ。現に、『なんで喫煙化がこんな肩身の狭い思いをしなきゃならないんだ』とか『お酒とか、タバコ産業が衰退しちゃうじゃないか』とか、そんな不満はあるはず。それも、その人たちの理性が考えた言い訳だよね。ただ、同じ理性同士でも少数だから、今は分煙も、飲酒のルールも守らなきゃいけない世の中になっているだけの話だよ。だから、どこまで行っても理性では悩みは解決しないんだ。」

 

「そうか。じゃあ宗教の教えとかっていうのはどこから来てるんだ?頭で考えたことじゃないの?」

 

「もちろん、言葉としては頭で考えて発せられてるけど、その大元は言葉に表せない何かから来てるんだ。つまり、人間の頭では考えられない何かがあるぞという事を、人は直感的に分かっていたんだ。それを、古来人間は畏れ、敬ってきた。その大元の何かをどう表すかによって、宗教が分かれているだけであって、言葉を変えて説いているだけで、どの宗教もまともなところは、説いている本質は一緒なんだ。」

 

「何かって何?神様?」

 

「そう呼ぶ人もいる。それをシヴァ、ブラフマン、真我、アラー、廬舎那仏、ヤハウェ、天之御中主様、天におわします我らが父、サムシンググレート、宇宙霊・・・そんな風に、それぞれの教えの中で名前を付けて呼ぶこともある。だけど、それらは全部一緒のものを指している。」

 

「全部同じってこと?」

 

「そう、同じもののことを、違う名前で呼んでいるんだ。それで、その正体とは、目に見えない、大きな力なんだ。それがあるという事は、簡単に証明できるんだよ。」

 

「え?目に見えないのに証明出来るの?なんか怪しいな。」

 

「怪しいと思うでしょ?でも、はっきりとわかるはず。ちょっと考えてみてね。今、吉田君は生きているよね。ところで、その心臓は、一体だれが動かしているの?」

 

「え?それは俺だろ。俺の身体が動かしてるんじゃないかな。」

 

「吉田君は『心臓を動かそう』と思って動かしている?そうじゃないよね。動かそうと思わなくても、身体が勝手にやってくれる。じゃあ、その身体を動かしてくれているのは誰だろう?」

 

「そう言われれば・・・誰だろう。」

 

「そう、それは分からないんだよ。だけど、確かに心臓を動かしてもらってる。心臓だけじゃない、内臓全部、それから、呼吸だって意識しなくても勝手にしている。これをしてくれているものは目に見えない何かなんだ。そして、これが無くなってしまうと、僕らの身体は機能しなくなるんだ。つまり、死ぬってこと。だから、この見えない何かがあるぞっていう事は、昔から何となくみんな気が付いていたんだ。そこで、それを敬って、この見えないものが人間を見捨てないような生き方をしようというのが、宗教の出発点なんだ。だから、すべての教えはその大元から来ているんだよ。大元から来ているから、理性で考えた、人間の小さな頭で考えたものとは比べ物にならない、本物の智慧なんだ。だから人の心に響いて、何千年も語り継がれてきているんだ。もちろん、中にはそれを悪用してお金儲けしようとしたり、人を騙すような変な人もいる。だから、特に日本ではいいイメージがなくなっちゃったんだけど。宗教の正体ってそんなところかな。」

 

「そっか。そういう事なんだ。確かに、そう言われれば怪しくもなんともない。悩みを解決するのに、一番いいってことだよな。」

「そうだね。人間の悩みのほとんどは繰り返されているんだ。何万年という歴史の智慧を使わない手はないよね。ちなみに、その大元となる何かの存在は、現代の科学者も一定の人は認めているんだ。」

 

「え?科学者って見えないものとか信じるの?」

 

「もちろん。吉田君だって、見えないけどガスや電気、使ってるでしょ?それから、電波だって、インターネットも見えないという点では一緒だよ。科学者も、色んなこと研究して、命というものを突き詰めると、『これは自分たちの頭では理解できない何かがあるぞ』という事に気が付くらしいんだ。どこまで研究しても、命は作れないぞってことに気が付くんだ。」

 

「でも、クローンとか、そういう話もあるだろ?作れてるじゃん。」

 

「それは、元があるものから命を複製しているだけだよ。0から、つまり何もないところから命を作り出すことは、人間にはできないんだ。だからこそ、その大元の何かのすごさが分かるんだ。それがないと、僕らは生きていられない。それに気づいた人がそれを神さまとか、いろんな呼び名をつけて、感謝したり、祈ったりしているんだ。それを見て、それに気が付かない人は気持ち悪がったりする。こういう風に聞くと、どっちが幸せか分かりやすいよね。」

 

「うん。ちょっと耳が痛いな。オレも、どちらかというと、そういう風に祈ったりとかする人をどこかで見下してた。けど、なんか今の話聞くとオレの方が馬鹿みたいだな。それで、悩んだときだけ神様に何とかしてくれって、都合が良かったなーって、ちょっと反省しなきゃ。」

 

「それに気が付いた吉田君はすごいよ。こういう話を聞いても、納得する人は少ないからね。」

 

「いや、もう何でもいいから助けてくれって感じなんだよ。藁にもすがる思いってやつかな。」

 

「なるほど。でも、それは良かった。じゃあ、それを踏まえて、本題に行こうか。」

 

(次回へ続く)

【4回目】紡ぐ

4回目 紡ぐ

 

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 ~~~

 

 

「もともと誰の技なのかとか、誰の考えなのかとかって、本当にわかるものなのかな。さっきも言ったけど、そこまで遡ってたら、きりがないと思うんだよ。」

 

「それなら簡単だよ。吉田君がさっき言った通り、始まりまで遡るんだよ。吉田君のやっているスポーツは、どこで始まったの?つまりどこが発祥?」

 

「うーん、詳しくは分からないんだけど、色んな説があって。一応、中世のフランスだってことになってるけど、アテネだって話もあるし、日本が発祥だって都市伝説みたいな話もあるし。それはよくわからない。」

 

「なるほどね。だけど、今よりずっと昔に始まったことは確かなわけだ。」

 

「うん。スポーツとして始まったころから数えても100年は経ってるはずだよ。」

 

「じゃあその100年の間に、色んな選手がいたはずだよね。そこで一つ質問なんだけど、その100年前の一流の選手と、今の一流の選手が試合したらどっちが勝つかな?」

 

「そりゃ今の選手だろ。ルールだって変わってるし。」

 

「じゃあ仮に、ルールを統一したとしたら?」

 

「それでも今の選手だな。動きのスムーズさとか、技のキレとか、体格とか、全部が今の方が優れてるに決まってるよ。なんだってそうだろ?」

 

「うん、その通りだね。人類は常に進化していくものなんだ。スポーツに限らず、文明もそう。これを生成発展というんだけど。この世界は、進化することを望んでいるし、その通りに進化するんだ。そして今ある文明も、そういうスポーツの技術なんかも、今まで沢山の人が知恵や技術を紡いできた結果なんだ。だから、吉田君の言う通り、今の選手と昔の選手だと、きっと勝負にならないと思うんだ。積み重ねた年月がそもそも、スタート時点で違う。」

 

「そうだろ?それで、一体そこまで遡って、どうするんだ?」

 

「つまり、遡るっていうのはこういう事なんだよ。今の一流選手の技を遡ると、最後は必ず一番初めの選手、そのスポーツを始めた人に突き当たるんだ。今度は逆に、そこから今の一流選手に行きつくまで進化の過程を順に追っていくと、全ての選手の色んなエッセンスが取り入れられて進化してきたことが分かるんだ。」

 

「あー、なるほど。そうか、そうだよな。一番初めの時代の強い選手の真似をしながら、自己流にアレンジして、またその次の時代はその真似をしてさらにアレンジして、そうやって今の一流の技術になるわけか。」

 

「そういう事なんだよ。だから今、吉田君が読んでいる本の著者であるその一流選手の技術も、もともとは今までそのスポーツをやってきた沢山の人のものなんだ。その中で、もちろん全部をそっくりそのままマネできるわけじゃないから、自分流にはアレンジしているはずだけど。それで、その人のプレーをそっくりそのままマネしてみようって思ってやってみると、今までの沢山の人のエッセンスをそのまま得られるという事なんだよ。これを分かったうえで真似するのと、ただ単に形だけ真似するのとでは、その過程で得られる気づきが全然違うと思うんだよ。だから、そうやって遡って考えたら、すごくありがたいなって気持ちにもなってくると思うんだ。」

 

「なるほど。そうだな。そう考えると、ムリだと思ったことでも一回真似してみるのがすごく大事なことなんだって改めてわかるよ。でも、やっぱりそっくりそのままってのはちょっと恥ずかしいな。なんか自分がないような気がするし。周りから見て、あいつマネしてるみたいな感じになるし。それに、自分流にアレンジしたときに、変になったらまたさらに勝てなくなりそうだし。」

 

「何度も言うけど、そっくりそのまま、全部マネして良いんだよ。だって、学校のテストじゃないんだから。厳しく聞こえたらごめんね。スポーツもしたことないのにって思うかもしれないけど、これは全てに通じることだから教えるね。マネしていいのにマネしない、そういう我の強さがあるうちは、きっと吉田君は変われないと思うよ。人にマネしてるって言われる恥ずかしさと、本当に勝ちたいという目的を天秤にかけた時に、恥ずかしさが勝っているんだ。そこで、もし本当に勝つという目的を達成したいと思ったら、恥ずかしさなんかなくなるはずだよね。」

 

「・・・。わかるよ。佐々木の言う通りだ。俺だって、その変なプライドをどうにかしたい。だけど、どうしてもそういうのが邪魔してくるんだ。」

 

「そうだよね。分かるよ。人間は必ずそう思うんだよ。特に吉田君のような真面目な人は特に、そう思いやすいんだ。」

 

「いや、真面目というより、頑固なんだよ俺は。さっきから、佐々木の言ってることは分かるのに、どうしてもやりたくないみたいな気持ちが出るんだ。それは我が邪魔してるんだってこともすごく分かる。こういう時は一体どうしたらいいんだ?」

 

「それなら、簡単だよ。吉田君、そういう悩みをなくすために、人は宗教というものを作り、導き合ってきたんだ。そういった教えの中にヒントがあるんだよ。」

 

「宗教?」

 

(次回へ続きます)

 

~~~ 

 

指導者にその人の「基本」を押し付けられそうになった時には、一旦、吉田と佐々木がやったように、そのスポーツの発祥まで遡ってみましょう。そうすると、どの人のどんなプレーもたくさんの人が紡いできた結果なんだという事が分かります。

そうすると、仮にあなたがその指導者自身に納得していなくても、その指導者の教えているプレー自体は、今までの沢山の人の積み重ねだという風に思えるはずです。そうすると自然と技術そのものに尊敬の念は生まれてきます。その指導者自身を尊敬していなくても、です。

もしそう言う見方をしてみて、それでもそんな風には思えない、「この指導者は自分勝手なことを言ってるだけだ」という風に思うのであれば、それはあなたの感覚がきっと正しいので、自分で決めて、自分の道を進んでください。

 

一切のことに謙虚になって、謙虚な目で物事を捉え、その上でまだおかしいと思う事は、やっぱりおかしいのです。それでも我慢して、辛い思いをして指導者についていく必要はありません。

 

指導者に対する悩みや、自分自身の頑固さや、優柔不断さ、気の弱さなどに悩み、苦しむ。

そんな色んな葛藤が起きるのは、スポーツの現場でも日常茶飯事です。

 

そういった悩みに苦しむ吉田に、それに対応するためのヒントを、佐々木が宗教に例えて教えようとしています。

 

ぜひ、次の章も吉田の身になったつもりで、佐々木の言に素直に耳を傾けてみてください。

ブログ再開します

こんにちは。

 

スポーツに悩む人がいなくなり、楽しむ人だけになるには、どうしたらいいのか。

 

もっと上手な伝え方はないのか、そんなことを考えながら、約1年の間ブログをお休みしていました。

 

吉田と佐々木の「物語」の方も、この1年間で8割は書き終えました。

 

今後、そちらを中心にまたアップしていきたいと思います。

 

僕がお伝えしたいのは、単にスポーツのことだけではなく、人生の目的だったり、人はどう生きたら楽しくなるのか、そんなことです。

 

もちろん、物語以外も、またアップして行きたいと思います。

 

このブログが一人でも多くのスポーツ選手に届けば幸いです。

 

2019年7月

だいちゃん

 

【物語】3回目 実践

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会得とは、会って得ることだと吉田に説く佐々木。

納得したかに思えた吉田だが、佐々木にさらなる質問をします。

そんな吉田に、佐々木は実践することの大切さを別の角度から説いていきます。

 

↓  ↓

 

 

~~~

 

吉田「なるほど。でも、実際やってみる前から、『きっと自分にはできないだろうな』っていうものは、実際スポーツやってると分かるのはどうしても分かるんだよ。そういう時でも1回やってみた方がいいの?それって無駄じゃないか?逆に自分のプレースタイルに変な癖がつきそうで嫌なんだけど。」

 

佐々木「それでもやってみた方がいいと僕は思う。実際やってみると、『自分には出来ない』という事が本当に分かる。『最初からできない』と思ってやらないのと、『やってみたけど出来なかった』というのは結果的に一緒だけど、その過程に『経験』というものが入るんだよ。そこで、何が原因で自分にはできなかったのかとか、どこまでなら真似することが出来るのかとか、そんなことが分かるよね。そしたら、やらなかった時よりも多くのものを手に入れることが出来るんだ。それはその技では約に立たないかもしれないけど、他の技を手に入れるときに役に立つかもしれない。すでに自分が出来る技をもっと磨くのに役立つかもしれない。そういうヒントを得られるだけで十分すごいことだと思うんだよ。」

 

吉田「そう言われれば、そうだな。自分のやってるのと違うスポーツでも、たまに遊びでしたりすると『自分のスポーツでもこの動き使えるかも』ってこともよくあるし。だけど、やっぱりどこかでそういう時間がもったいなく感じちゃうんだ。そんなの1個ずつやってたらきりがないし。だとしたら、自分の技を磨くことに時間を使っても良いような気がしちゃうんだよ。」

 

佐々木「うまくいってる間はそれで良いんだよ。だけど、自分の考えで上手くいかなくなったからこうして本を読んで学ぼうとしてるんだよね?それを自分で考えて時間を使えば上手くできるって考え始めたら、それって元に戻っちゃうよね。」

 

吉田「あっ、そうか。うん、確かにそうだ。」

 

佐々木「ところで話は変わるけど、禅の教えで、『月を指す指』って言葉があるんだけど、これは月を指す指は、月ではないという事なんだ。」

 

吉田「月を指す指?それはもちろんそうだよ。月と指は別物じゃん。」

 

佐々木「だけど、昔は月を指す指を見て、指を月だと思うような勘違いしちゃう人が多くいたんだ。もちろん、今でもほとんどの人がそういう勘違いをしている。」

 

吉田「いやいや佐々木、それはないよ。月と指とを見間違えるなんて、どうかしてる。昔は分からないけど、今の時代そんなもの見間違えるなんて、よっぽど眼鏡の度が合っていない人くらいだろ。」

 

佐々木「そう思うよね。だけど、これは月の話ではなくて、悟りを求める修行している人の話なんだ。つまり、月というのは『悟り』。そして、こうすれば悟りにたどり着けますよというヒントとなるものが『月を指す指』という事なんだよ。だけど、この『悟りに導くためのヒント』になる書物や口伝を、『悟りそのもの』と勘違いしちゃう人が多かったんだ。つまり、目的とその道しるべを、混同してしまう人が多いんだ。」

 

吉田「悟りか。なんか難しくなってきたな。けど、なんとなくわかるぞ。本を読んで、それで分かったつもりになっているオレと一緒だって言いたいんだろ?」

 

佐々木「うん、そうなんだよ。本に書いてあることはヒントでしかないんだ。それを自分が試行錯誤して身につけなければならない。つまり、行動を起こさないといけないんだ。月を指す指を見て月を得たと満足せずに、その指の方向をヒントに、自分で月を探しに行かなくちゃいけないんだ。」

 

吉田「なるほど。だから、素直な気持ちで読めってことなんだな。勝手に指を月だと勘違いしないように。それで、無駄とか無理とか決めずに素直に何でも実際にやってみるのが大事なわけだ。うん、佐々木の言ってることが分かってきたぞ。」

 

佐々木「そう、『生まれたての赤ん坊』だよ。目の前に差し出された物は、全てに触れてみるんだよ。それで、それが食べ物なのか、触っちゃいけないものなのか、自分を楽しませてくれるおもちゃなのか、そういう事に一つずつ気づいて、学んでいく。そうして僕らは成長してきたじゃないか。スポーツも一緒だと思うよ。」

 

吉田「うんうん、そうだな。よし、出来ないなって思ったものも全部一回やってみるよ。」

 

佐々木「ぜひやってみて。絶対無駄にはならないから。」

 

吉田「あとさ、佐々木、もう一個分かんないことがあるんだけど良いかな?」

 

佐々木「もちろん。何だろう?」

 

~~~

 

『得るために会いに行く』という基本的な考え。

実践するということの大切さ。

これを普段私たちは忘れてしまいがちです。すぐに頭で考えて、自分の頼りない経験則と照らし合わせて、出来るかどうかを決めつけてしまいます。

 

特にスポーツの現場では「お前にはそのプレーはまだ早い。あれはあの人だからできるんだ。まずは基本をしなさい。」などと、その技に会いに行くことを禁止されることすらあります。

もちろん、『基本』は大切ですが、そもそも、その『基本』って何だろうということを考えると、大変です。日本と海外では、同じスポーツでも基本が異なります。また、日本国内でも、指導者によって、基本が異なります。そんなあいまいな言葉で、可能性に満ち溢れた未知のプレーに会いに行くことを止められることほど、もったいないことはないと思います。

 

しかし、現実は指導者の方が技術力が上の場合がほとんどで、そちらの教えを優先しなければいけないということも分かります。

 

そんな時はどうすればいいのか。

 

この後にもう1つ続く吉田の疑問を一緒に考えてみると、そのヒントが得られますよ。

 

次の話に続きます。

 

【物語】2回目 会得

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吉田は佐々木に言われた通り素直な気持ちで、もう一度同じスポーツ選手の本を読んだ。

そして、また佐々木に会いに来た。

 

~~~ 

 

吉田「佐々木。ありがとな。おかげでもう一回読めたよ」

 

佐々木「それは良かった。どうだった?」

 

吉田「佐々木に言われた通り、頭を空にしようと思って読んでみたんだけど、中々難しくてさ。気が付くと、また『この人の』ってラベルを貼ろうとしちゃうんだよ。でも、そんな時は“生まれたての赤ん坊”って言葉を思い出して、自分に言い聞かせながら読んでた。そしたら、不思議と今までより素直に読めたと思う。」

 

佐々木「そっかそっか。生まれたての赤ん坊は良いね。でも、そうやって読んでたら意識するだけで得られるものが違ったでしょ?」

 

吉田「そうなんだよ。前と全然違った。前読んだときは『この人だから』って思って読んでたんだけど、今回はそれを考えないようにした。そしたら、『前はこんなこと書いてあったっけ?』みたいに思う事が多くて。前回読んだときは気が付かなかったのか、読み飛ばしちゃってたのか。とにかく1回読んだ本って感じはしなかった。」

 

佐々木「それは吉田君が素直な気持ちで読んだからだよ。『自分』というフィルターと『相手』というフィルターを取り除いたから、そこに書かれてあるものにしっかり気づくことが出来たんだ。」

 

吉田「ところで、この間言ってた『全部が必要』ってどういう意味?それが分からなかった。素直に読んで、『だれだれの』を抜いてヒントをもらおうとしたけど、やっぱりそこが分からない。どうしても必要かどうかの判断はしなきゃいけないよな。やっぱり現実的にその人とは身体の作りも違うし、どうしても無理だなってことはある。」

 

佐々木「それはね、実は簡単なことなんだよ。それはこういうことなの。ところで、吉田君はその本を読んで、得たヒントを実際に試してみた?」

 

吉田「え?ああ、もちろん。すぐにその日の練習でやってみたよ。だけど、中々難しいし、最初から完璧にはできないしな。できてたら今頃オレもオリンピック選手だ。」

 

佐々木「そうだね。ところで、自分で『これ、ムリかもな』って思ったヒントは試してみた?」

 

吉田「いや 試してないよ。だって、どうやっても出来ないものは出来ないよ。それを判断するために、佐々木が教えてくれたように『だれだれの』を抜いてちゃんと読んで、そのうえで『これはオレには必要ないな』って判断したんだから。間違ってはないだろ?」

 

佐々木「もう一つ、忘れてるね。技術そのものを見ることが出来たら、今度はそれを分析するんだよ。これはもともと誰の技?どんな考えでやってるの?そんなことを考えてみるんだ。」

 

吉田「そうだった。でも、やっぱりそれって難しくないか?もともと誰の技かなんて、そんなのどこまで遡ればいいの?そのスポーツが始まったとこから考えなきゃわかんないし、そんなのやってたらきりがない。だったら一回やってみた方が早いよ。そしたら本当に無理かどうかわかるし。・・・・あっ。分かった、佐々木。そういう事か。どんな技も決めつけずに、やってみたらいいんだな。」

 

佐々木「そう、そういう事だよ。今、自分の中で全部解決したね。何か技術とか考え方を身に着けるときって『会得』とか『体得』とかいうでしょ?つまり、会いに行って得る。身体で得る。という事なんだ。『これは無理だからやめておこう』という考えは、会いに行ってすらないんだ。会えば、観察できる。そして、身体で得ることが出来る。それが本当に分析するという事なんだ。」

 

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次の話へ続きます。

 

【物語】1回目 素直

前回のお話

【0回目 師事】

 

本を読む時に、吉田には受け入れる準備が出来ていないと言う佐々木。

 

一体どういうことなのか。

今回は佐々木がそれを説明してくれます。

 

↓  ↓

 

 

 

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佐々木「例えばね、ここに、飲みかけの1杯の水があるよね。これは僕がさっきから飲んでるものなんだけど。」

 

吉田「水?ああ、それね。それで、それが何?」

 

佐々木「この水は、そこに設置されてる、コップ1杯分が自動で出る機械で入れたんだ。しかもすごいのが吉田君、そこの機械はお茶も出るんだよ。」

 

吉田「今度はお茶か。それで?」

 

佐々木「このコップにはまだ半分くらいは水が入っているんだけど、吉田君、申し訳ないんだけど、そのままこのコップを持って行って、そこの機械で1杯お茶を入れてきてくれないかな。」

 

吉田「え?別に良いけど、ならその水飲んじゃってよ。それか、そこの飲み残しに捨ててくるけど良いか?それか新しいコップで持ってくるよ。」

 

佐々木「いや、このコップが良いんだ。ぜひこのコップに、そのまま半分水が入った状態で持って行って、そこのお茶を入れて欲しいんだ。」

 

吉田「いやいや、だから、そのままだとお茶溢れるだろ。何?薄いお茶が良いの?」

 

佐々木「そう、そこなんだよ。吉田君。」

 

吉田「え?薄いお茶が良いってこと?」

 

佐々木「いや、そうじゃなくて。既に水が入っているコップに、また同じだけの量のお茶を入れようとすると、溢れるんだよ。だからまず、吉田君の言う通り、捨てなきゃいけないんだ。」

 

吉田「そんなの当たり前だろ?誰だってわかる。」

 

佐々木「そう、当たり前なんだ。だけど、吉田君はその当たり前を忘れてしまってるんだ。」

 

吉田「いや、オレは捨てようとしたよ。」

 

佐々木「お水はね。だけど、その一流選手の本を読む時、吉田君は自分の考えを捨てようとしなかった。」

 

吉田「あ。」

 

佐々木「それは、自分の経験とか、その人に対するイメージとか、妬みとか、そういうものが相まってなのかもしれないんだけど。だけど、それだとコップの水と一緒で、いくら良いヒントがその本の中にあっても、こぼれちゃうんだ。このコップだと半分こぼれるけど、頭の中を、そういう今までの自分の考えとか偏見でいっぱいにしていたら、半分どころか全部こぼれちゃう。だから、吉田君はヒントを受け取れずに、その本が良いものではなかったと思ってしまったんだよ。だから、本当は何かを教わろうとするときは、頭の中を空っぽにしてからじゃないと、正確な情報は入ってこないんだよ。」

 

吉田「確かにそうかもしれないけど、でも、ちょっとは参考になるとこもあったし。別に、全部を否定してるわけでもないよ。自分に必要なものだけを選択して吸収するのは、スポーツでは大切なんだよ。佐々木には分からないかもしれないけど。」

 

 

佐々木「そうだね。僕にスポーツのことは分からない。だけど、一つ分かることがある。それは、さっき吉田君が自分で言ったこと。」

 

吉田「え?オレが言ったこと?」

 

佐々木「そう、半分水が入っている状態でお茶を入れたら、半分溢れて、半分は入る。けど、薄いお茶になっちゃう。ってことだよ。水が吉田君自身の今までの考え、お茶が一流の人からのヒントだとすると、どうかな?」

 

 

吉田「薄いお茶・・・。ヒントが薄まるってこと?」

 

佐々木「そう、ヒントが薄まるんだ。薄まるっていう事は、もう、それは元のヒントじゃなくなってるんだよ。その中に半分、すでに吉田君自身の考えが入ってしまっている。という事は、必要なヒントか、無視していいヒントか、判断できなくなっちゃうんだよ。さっき吉田君は、必要なものだけ取り入れるのが必要って言ったけど、それを判断する時点で、既に自分の考えが半分入ってしまった、薄まったヒントを見てるんだ。それでこれは良い、これは要らないって判断しても、正確な判断はできないよね?」

 

吉田「あー、そう言われると、うん。納得だ。1本取られた感じだな。オレは自分の考えで、良いのか悪いのか判断してた。」

 

佐々木「判断することは良いんだけど、その前に、対象をありのままで見るという事が必要なんだよ。『この人の技術』の『この人』という言葉を抜いちゃう。そうすると、そこにあるのは単なる『技術』だけになる。そうすると、本当の意味で必要かどうかを見極めることが出来るんだ。本当は全部が必要なことだから、判断する必要はないんだけども。」

 

吉田「全部が必要?どういうこと?だって、全部取り入れたら、大変じゃないか。ごちゃごちゃになっちゃう。混乱するよ。」

 

佐々木「いや、ごめん。それは今話すべきじゃなかった。これは、吉田君がその本をもし、もう一度読み終わったら、いつか詳しく話すよ。」

 

吉田「なんだよ、もったいぶって。でもまぁまたもう一回読むわ」

 

佐々木「ははは。ごめんね。でも、大事なことだからもう一度言うけど、その本を読む時に、頭を空にして、素直な気持ちで生まれたての赤ん坊のような気持ちで読む。そして『この人の技術』『この人の考え』、『自分の技術』『自分の考え』というものから、全部『だれだれの』というのを抜いちゃう。そうすると、そこに『技術』『考え』という対象だけが現れる。全て、それをしっかり見ること。そうすれば、本当に自分に必要なものかどうかの判断が正確にできるよ。」

 

 

吉田「赤ん坊のような気持ち・・・か。」

 

佐々木「うん。例えばさっきのコップ。これは今、僕のコップとも言えるし、ここの食堂のコップともいえるね。」

 

吉田「うん。でもまぁ食堂のコップだよな。」

 

佐々木「でも、見方を変えると、食堂を運営している大学のコップとも言える。」

 

吉田「あ、そうか。それもそうだ。」

 

佐々木「だけど、大学にこのコップを納品した業者さんがいるし、その前にこのコップを作った人もいる。」

 

吉田「いや、コップを大学が買ったんだから、もう大学のコップで良いじゃん。」

 

佐々木「じゃあ、コップを買うためのお金はどこから来たの?」

 

吉田「それは、オレ達みたいな学生の授業料とか、そんなのだろ。」

 

佐々木「じゃあ、その授業をするのは先生だから、結局これは先生のコップとも言える。だけど、そもそも大学を設立するときに出資した人がいるだろうから、その人のコップともいえる。けど、この建物がなきゃそもそも大学は成り立たないから、ここを立てた建築屋さんのコップとも言える。まぁこれは無理やりなこじつけだから、分かりにくいかもしれないけど。つまり、そもそも「だれだれの」っていうのは、僕らが勝手に貼ったレッテルで、本来は誰のものでもないはずなんだ。それが、レッテルを貼った瞬間、そのものの正体が分からなくなる。このコップだって、今はコップかもしれないけど、元々はただのプラスチックだ。そのプラスチックだって、原料まで遡れば、それは地球のものであって、本来は誰のものでもない。」

 

吉田「ん、なんだか難しいな。」

 

佐々木「ごめんね。分かりづらいね。別の方面から話をすると、このコップは、今は水を入れて飲むための容器だけど、もし小さな花を買ってきて、ここにさしたら、このプラスチックの容器はコップじゃなくて花瓶になるんだ。」

 

吉田「あ、なるほど、それなら分かる。」

 

佐々木「つまり、見方によってはいろんな可能性を持ったプラスチックの容器も、「コップ」というレッテルを貼ってしまうと、可能性が狭くなってしまう。これと同じで「技術」に「だれだれの」をつけた瞬間にさっき吉田君が言ったような「あの人だからできる」とか、そういう可能性を狭める考えしか出てこなくなるんだ。それを「技術」そのものを見ると、今やったみたいに、その技術を分析することが出来る。」

 

吉田「分析?」

 

佐々木「そう、分析。コップは誰のもの?どこから来たの?それと同じ。この技術はどこから来たの?もともとこの人は誰から教えてもらったの?何からヒントを得たの?そんな風に、しっかり分析できる。そしたら、その過程で、あ、じゃあこれを完璧にはできないけど、この人がこういう考えでやっているこの部分は自分にもできるかもって、こういう風になるはずなんだよ。」

 

吉田「その技術はもともと誰のもの?か。それは考えたことがなかった。」

 

佐々木「別に、それがすべてじゃないんだけど、ごめんね話が脱線して。でも、そういう気持ちで読んだら、同じ本でもまた全然違う感じ方が出来ると思うんだ。だから、もう一度読んでみてって言ってんだよ。なんか説教みたいになってたらごめんね。」

 

吉田「いや、全然。最初は何言ってんだこいつって思って正直少し腹立ったけど、色々分かった。教えてくれてありがとう。でも佐々木やっぱすごいな。色んなこと知ってるな。」

 

佐々木「ありがとう。だけどね、僕が今話したような知識とかっていうのも、僕のものではないんだ。結局、色んな本から得て、そして、普段の生活から気づかせてもらったものなんだ。さっきの話と同じで、この知識というのも、元々は誰のものでもないし、逆に誰のものでもあるんだ。だから、今日、こうして、吉田君に何か有益なことを共有できたなら僕はすごく嬉しいんだ。」

 

吉田「なるほど、知識もだれだれのじゃないってことか。でも普通、そんだけ色んな事知ってたら自慢したくなるけどな。そこが佐々木はすごい。見習うよ。」

 

佐々木「ありがとう、すごくはないんだけど・・・なんだか照れるね。」

 

吉田「とにかく、オレもう一回読む。そんで、その内容を佐々木に話にくるよ。ちょっとやる気出てきた。本気でがんばるわ。」

 

佐々木「それはいいね。ありがとう。」

 

 

吉田「そしたらさ、またいろんなこと話して教えてくれないかな?」

 

佐々木「もちろん、喜んで。」

 

吉田「よし、なら早速家帰って読むことにするよ。ありがとな、佐々木。」

 

佐々木「あ、吉田君、ちょっと待って。」

 

 

吉田「ん?」

 

佐々木「あの、さすがに僕もいつもいつもここにいるわけじゃないからさ。今日はたまたまここにいたけど。」

 

吉田「あ、それもそうか。よし、なら佐々木、ちょっと連絡先交換しようぜ。よく考えたら知らなかったわ。」

 

佐々木「そうだね。それで、また話しに来てくれる時は連絡してくれると嬉しいな。」

 

吉田「りょーかい!なら、また連絡するよ。本当にありがとうな!」

 

 

 

こうして、吉田と佐々木の意識の共有がスタートした。

 

 

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スポーツの現場では「誰かに教わるときは、素直に聞け」とよく言われますが、この「素直」というのがどういうものか、本当に分かっている指導者が果たしてどのくらいいるのでしょうか。

 

佐々木が言ったように「生まれたての赤ん坊の様に、頭を空にする」こと。

 

その為に、「だれだれの」という概念を一旦捨てて、物事を観察する。これが「素直」な状態です。

 

ぜひ、あなたもこの物語を吉田がもう一度同じ本に挑戦してみようと思ったように、「素直」な状態で読み進めてみてください。

 

きっと得られるものが変わりますよ。

 

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次回に続きます。

 

 2回目 会得

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